確立の高い低い
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親子の間では、からだに流れている血が交流し合えるように、日常生活のさまざまな場面で愛情のシャワーをかけ合っていくことが大切です。
「シャワー」という言葉には、「贈り物などを情しげもなく施す」とか、「愛情をあふれるほど注ぐ」という意味もある。このシャワー感覚が日ごろの生活行動にふんだんにあれば、親子の絆はスムーズに展開されます。
子育ては〝愛のシャワー″といってもよいのです。
とりわけ、一人の人間として総力をあげて、子供に接する基本的姿勢をもつことです。
あの手この手というぐあいに策を弄していくよりも、まずは子供のハートを射とめて、全体の人間像そのものに好感をもたせるよう、あなたらしい愛のシャワーをたっぷりと子供に浴びせてしまうのです。
動植物に対しては豊かな愛情を示せる人であっても、なぜか親子関係をぎくしゃくさせている人が意外と多いです。
それは動植物は人間の愛情に素直に反応するが、子供の反応は単純ではないからです。
子供にシャワーを注ぐために、自分を犠牲にするのではなく、まず自分の生き方を大切にしていく心がまえがあってこそ、親の注ぐシャワーに子供を愛する情がこもっていくものである。自分すら大切に
できないような親では、子供の心を汲みとってシャワーを注ぐことはできないです。
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お父さんは、自分の仕事への取り組み方を、まずはっきり自覚しておくことが大切です。
すなわち、仕事そのものにぶらさがり、あるいはまとわりつくような対応ではなくて、人間らしい生活行動のなかにうまく仕事をはめ込んでいくやり方です。
そうすれば「自立」という、いまの時代にふさわしいセンスをもつことになります。
だからといって、企業に対する忠誠心が以前に比べて劣るわけではないし、仕事の効率が下がることもありません。
ただそのためには、仕事にとり込まれないというあなたの抗体センスが必要なのです。
日ごろ、忙しいという言葉を連発して、さも仕事の虫であるかのようなポーズをとっているビジネスマンにかぎって、実際にはたいして重要な仕事をしていないことが多いです。
自らどうでもよい仕事に首を突っ込んでいって、仕事そのものを時間という枠のなかに無理に押し込め、ただ忙しがるような人物は、仕事を趣味にして時間を食い荒らしている虫みたいなものです。
経験的にみても、よい仕事をなし遂げていくには、たいへんな時間が必要です。
仕事に燃えているときには、道を歩きながらでも、食事中であっても、頭の片隅でいつも仕事のやり方を考えているものなのです。
少なくとも、自分でなければできないというもの、他人に取って代わられることのない値打ちを自分にもとうとしましょう。
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先進国アメリカではIQの高さや学力試験の成績が、人生の成功を約束するものとみられてきたようです。
学校教育では学力面ばかりが強調されて、子供たちの成績を上げることに熱心で、心の知性を磨くための情操教育、社会教育はなおざりにされてきました。
情操教育の場であるはずの家庭が、共働きや離婚などで崩壊しつつあります。
ビデオやコンピュータの普及によって、アメリカの子供たちは一人で過ごす時間が増えており、心の知性を育み、高めるための機会が失われています。
アメリカ最大の社会問題「未成年の暴力的犯罪の急増」の背景にはEQの欠如があるようです。
EQとはモーショナル・クォシュント=感情指数、心の知能指数のことです。
ゴールマンという人の分析・指摘がきっかけでアメリカの学校ではいま、EQ重視へと切り換えていく試みが始まっているようです。
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子供の意思を尊重して見守れるかが問題です。
そのキーワードは「自立」です。
子供が将来に選ぶ職業がサラリーマン、コック、大工……、なんでも、自分で自分の面倒をみる、一人前になって生きていけるように勇気づける家庭の環境づくりをすることなのです。
それはわが子が、自分の将来像を自分の頭で考え、成長過程でぶつかるさまざまな局面での対応を自分で判断して、だれにも依存しないで対処していくことである。それには父親・母親がそれぞれ自立した考え・行動の持ち主でなければなりません。
家庭教育は、礼節を重んじる、人間関係を大切にする、子供の意思を尊重するが大切です。
子供の意思を尊重して行動を見守るのは簡単なようでなかなかできません。
お子さんが、息子がどこで働こうと、自分の足でしっかり立って生き抜く知恵を身につければよいと思って、息子の行動をじっと見守りつづけることが重要です。
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授業を受けた子どもたちは、授業内容に関するさまざまな身近な例を持ち帰っているのだ。
授業の内容を聞いてやり、しっかり復習させて欲しい。
できれば、関連する身近な現象を話し合ってみて欲しい。
きっと、話し合った週のテキストや問題を、解いているときのお子さんの目の輝きが違ってくるはずだ。
当然、疑問となって残ってしまうものは、教師に質問しておくことだ。
こうした、「質問と答え」を繰り返す親子のコミュニケーションのなかで、子どもは疑問や関心を再確認することができ、自分なりの学習姿勢ができあがるのだ。
しかし、今はそれが逆転しているご家庭が多いようだ。
家に帰ったら勉強机に向かわせてたくさん問題を解かせておいて、時間があるときだけ「どうして」とおざなりで聞くといった程度なのだ。
それでは、あまり学習効果は期待できないのだ。
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難関校をめざしているお子さんは、問題演習のなかで、質の高い問題を解くことも合格点を取るために必 要なポイントだ。なぜなら難関校では、出題されるすべての問題が、なんらかの形で思考力を問う問題で構成されているか らだ。「思考力」「表現力」を試す問題といってもいい。中堅クラスの学校でも、半数程度は「思考力」「表現力」問題になりつつある。つまり質の高い「思考力」「表現力」問題で得点できなければ合格はありえない。それが、いまの中学入試だ。そのため、1日1題なり2題なり、じっくりと考えて解く時間が求められるわけだ。また、算数の問題というのは、解説を読めばすぐに理解できるとは限らない。ただ解説を読んでも、どこが重要で、どこが重要でないかということが、読きれない子どもが多いようだ 。
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思考力、表現力問題は、国語の問題を数多く解いたからといって、答えることができるようになるものではない。
国語の入試問題の主流だった「登場人物の気持ち」を問う問題なら、問題文の文中に必ずカギになる言葉が書かれているものだ。
それさえ見つけることができれば、正解を導くことができる。
しかし、自分の考えを問う問題では、文章全体の要旨を的確につかまなければ、解答をまとめることはできない。
全体の要旨を的確につかむためには、自分の考えを相手に伝えるトレーニングをして、考えをまとめる習慣を身につけることが必要だ。
また、ふだんから身の回りのものに問題意識を持つことで 「考える力」を養うことも重要なポイントだ。
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合格実績は現在のものだ。
しかし、問題になるのはお子さんが大学受験をする6年後だ。
6年後の実績が問題になる。
6年後の地図を考える必要があるのだ。
実績が逆転する学校もかなりあるはずだ。
将来性も考えて、選ばねばなければいけないのだ。
過去にさかのぼって実績を調べるのも、役に立つ。
年々、実績が向上しているところは期待できるからだ。
けれども、がむしゃらなだけで教育姿勢が一貫していない学校などは、頭打ちになってしまうこともある。
関西のある実業高校だが、名称も変えて進学校を目指しているところがある。
最初は、生徒を学校で合宿させて詰め込み学習を行い、年毎に実績を上げた。
ところが、最近はあまり伸びていない。
名前を変えただけで、教師はほとんど入れ替わることもなく、強引なやり方で目先の数字を追っていたからだ。
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仕事などで忙しく、家庭のことはお母さんに任せているお父さんは多い。、現在の教育状況など研究する余裕がなどはないはずだ。今が大変な時期だということは、理解しておいた方がよい。お母さんたちが、我を忘れて中学受験に没入しているのも、少しは理解して欲しいものだ。すでに走り始めているであろうお子さんとお母さんの、サポートをしてほしいものだ。金を出せば、それで終わりではいけないのだ。プロテニス選手のコーチのような存在になるべきだ。テニスの試合では、試合中、コーチは声をかけることができない。観客席から、目配せくらいしか許されていないのだ。しかし、試合の前後や、中断の時には、コーチがアドバイスをする、。中断の場合など、その後で勝負がひっくり返ることも多いのだ。中学受験では、お子さんとお母さんはダブルスを組んで戦う。お母さんも、大変な状況の中、周りがよく見えなくなっていることもある。そんな時、少し離れたところから見ているお父さんには、適切なアドバイスをすべきだ。お子さんは、お母さんの叱咤激励だけでは神経が参ってしまうことある。そんな時、ガス抜き役となってリラックスさせてやるのが、お父さんの仕事だ。
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「学習指導要領」というものがある。
本当によく知った上で、指導している人は一体何人いるだろうか。
それを出している文部科学省の役人でさえ、どういうものかよく分かっていると思えない。
学校教育法についても同じ。
学校という制度に関して、具体的なことの基本を定めた法律なのだが、よくしらない人の方が多いだろう。
これより上には教育基本法がある。
さらに日本国憲法がある。
それらは考え方を定めているだけで、具体的にはこの学校教育法が基本となる。
学校教育法には、付属品みたいなものがついている。
「学校教育法施行規則」とか「学校教育法施行令」というのがそうだ。
こういう、後ろに「規則」とか「令」と名がついているのは、国会で制定した法律ではない。
では、法律ではないのかというと、そうでもなくて、広い意味では法律だ。
国会でいちいち細かい規定まで検討していたら、時間が足らなくなる。
いつまで経っても法律が定められない。
だから、大まかな規定だけを国会で作っておき、後の細かい部分は政府や省庁に決めさせるのだ。
こういうのを、行政立法と言うらしい。
立法 (国会) がやるべきことを、行政 (政府・省庁)にさせるわけだ。
だから三権分立の原則を破ることになり、よくないと言われている。
けれども、頻繁に行われているのが実状だ。
これは、高校の政経でも学ぶ事柄だ。
中学の公民でも、話くらいはしてもいいと思うのだが、実際は高校でも、きちんと教えている教師は多くないようだ。
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家族の大イベントと化している私立中学受験熱の高まりの理由を探ってみる。
確かに、東大進学者は私立が優勢だが、有名大学となると、必ずしも私立だけがいいとは言えないようだ。
私立には私立のよさがある。
校風など、すぼらしい学校が多い。
だが、長年、多くの生徒と接してきて、私立中学受験に向いてない子もいること、そうでない子の差ははっきりしている。
高校受験のほうが、子どもが主体的にかかわっていること、自分で勉強をコントロールして、受験とクラブ活動を両立させていることは間違いない。
親主導で生活が受験色にぬりこめられてしまう中学受験を、もし大学進学に有利という一点のみでさせることは、このへんで考え直したほうがいいのかもしれない。
有名私立校がイメージの割には大学進学実績はふるわないこともある。
とくに有名私立女子校はその傾向が顕著だ。
進学指導をしないことや、併設小学校からエスカレーター式に上がってくる子もいたりするせいもあるが、中学入試の難しさに比べて、大学入試の実績が伴っていないのだ。
逆に大学進学に血眼になって予備校まがいに能力別クラス編成にして、成績を発表してビシバシ鍛える私立がいいかとなると、これまた問題だ。
塾はもともと成績のいい子が入ってますから、ふつうの公立小学校だったら、二~三パーセント、せいぜい五パーセントにあたる子だ。
進学塾に通う八割程度の子は、ただ結果だけを教えられ、なんだかよく分からないことを詰め込まれている可能性があるので親御さんは気をつけるべきだろう。
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どの塾も合理的な指導を謳っているので、親はますます塾選びで混乱する。
問題は塾のいう合理的指導の中身だ。
例えば、最大手の四谷大塚や日能研は確かに実に合理的にできているようだ。
しかし、その合理性は、実は塾経営と一部の「優秀児」にとっての合理性なのであって、それ以外の子どもたちにとっては実に非合理的なシステムとして機能する可能性があることを親は知っておかなければならないのだ。
というのは、進学塾は名門校への合格実績がすべてであるから、優秀児だけ手塩にかけて、その他大勢は「お客さん」として塾経営にのみ貢献してもらう(つまり月謝を払ってもらう) のがうまい経営手法だからなのだ。
実際、大手に限らずそういう塾はたくさんあるようだ。
では、子どもの負担を減らし、子どもの能力を伸ばす塾をどうやって選んだらよいだろう。
そのためには塾選びの前にすることがあるのだ。
まず第一は、自分の子どもの個性を知る、ということだ。
おっとりしたおくての子なのか、それとも早熟な子か。
親がある程度方向づけをしてやれば後は自分で勉強できるのか、あるいは子どもの後を追いかけまわさないといけないのかなどなど。
気が弱くおとなしいタイプなのか、それとも負けん気の強い子か、体力はある方か、ない方か、などなど。
一口に小学生とはいっても実にさまざまなのだ。
だから、ある子に合った塾が別の子に合うとは限らないことを肝に銘じておかなければならない。
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