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2008年5月

間違った解答

中学受験の問題は、難解で、質が高く、塾の講師でも頭をかかえてしまうものだ。
まちがった解答が出ることもある。
ある大手塾の代表はこのような問題にぶち当たると、嬉しくなってしまうらしい。
闘志をかきたてられるらしいのだ。
そして考えることはひとつで、このような問題が解ける子にするには、どんな力をつけたらいいのかと考えるそうである。
こうして作成させたのが有名なオリジナルテキストのようだ。
「デイリー・サピックス」
小学校三年の国語のテキストでもすでに長文読解があるようだ。
一〇ページにわたる物語を読ませて、問いに答えさせる。
一日一問。
「優秀な子は学校の授業で満足できない。あきあきしてますよ。小学生は能力無限大なのに、学習意欲をすでに低下させている。日本国の損失です。でも、ここに来れば知的好奇心も満足できる。小学校三年の子がうちの問題やると目を輝かせますよ。考えるのが楽しいんです。帰るとき、お母さんにもやらせてみたいって言いますよ」
そのテキストを出している塾の代表の弁だ。
優秀な子を、合格目指してまっしぐらに進ませる。
そのための助力は惜しまないと切々と語るだ。

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ずいぶん前の話

ずい分前に、担当した生徒さんが、志望校を麻布に決めたのは六年の初め。
国語が得意ではありませんが、記述式は得意なので問題も合っていた。
開成コースにも入ってみましたが、緻密に積み上げた知識集約型の開成の問題は合わなかったらしく、すぐ志望校替えた。
六年前期はまだ輝くような成績ではなかったので、相談すると次の週から替えてくれたようだ。
また武蔵の問題も合わなかった。
輸入肉の関税課税率だとか細川内閣の動向とかよく知っていて、「とにかく社会ができる」ことが頼りだった。
一科目得意科目があるのは強い。
しかし、親御さんは迷いっぱなしだった。
迷うとすぐに相談された。
「高い月謝を払っているんだから、どんどん電話して相談してください」と言った。
的を射た答えが返した。
算数がカベのようだというと、「何月からのテキストをいつまでに解くように頑張ってみてください。途中経過を報告してください」と、具体的に対策をした。
その通りにやると確かに効果が上るのだ。
私は算数はひらめきではなく、「算数は慣れです」だと励ました。
アドバイスに安心してやってもらった。

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あっとホーム

あるお母さんから聞いたことがある。
Sクラスでは、五年生がよそ見することなく三時間一五分聞いているそうだ。
しかも私語がない。
だけど笑って聞いていると聞いた。
授業は洗練されていて受験に向かっているけど、アットホームで温かい感じがしたそうだ。
いい雰囲気だった。
四谷大塚で出している雑誌『えるぺ』を見ては、親子で推薦図書を読んだそうだ。
父母教室もあって勉強の仕方を身につけさせる方法や食事の世話、健康管理のことまで教わったそうだ。
塾帰りに飲んだり食べたりしないようにと、きめこまかい通塾の仕方の注意もあったそうだ。
中野では駅から塾まで角に先生が立っていて見ていてくれて、感激したと聞いた。
授業参観してたのは六年の秋の初めまでだったそうだ。
ぎっくり腰になって、治ったら、もうついてこなくていいと息子が言れたそうだ。
成績は順調に偏差値七〇以上を維持し、トップではないけれど上位五位に入っていたそうだ。
1度偏差値83があったと自慢された。
授業のある日は復習を一時間ほどして、九時には寝て、睡眠は八時間確保したと聞いた。
勉強に時間はかからなくなり、塾のない日は、放課後遅くまで遊んできたそうだ。
本人は学校のほうが楽しかったって親御さんから聞いた。

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無意味な難問

塾での勉強は、無意味な難問につき合わされることがだめである。
たとえば算数オリンピックに出ようかという子にとっての良問は、そうでない子にとってはむしろ難問、奇問になる。
本来は難問に取り組むことは思考力を伸ばすために必要不可欠のことである。
それも程度問題で、その子の興味とあまりにかけ離れた難問にばかりつき合わされていては、伸びるものも伸びなくなるのだ。
ところが、中学受験ではそういうハメに陥る子が実に多いのだ。
というのは、ウチはレベルが高いのだというミエや優秀児を集めようという意識から、とてつもない難問を模擬試験に出題したり、教材に使ったりする塾が多いからだ。
ところが、この種の問題は、中学側が出題すれば世間の非難を受けるので、昨今は減っているのだ。
実は合否にはまったく関係のないトレーニングをさせられている可能性がある。
いずれにせよ、能力以上に子どもが背伸びさせられている場合には、頭は良くなるどころか悪くなるということを肝に銘じておくべきだろう。

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無意味な難問

塾での勉強は、無意味な難問につき合わされることがだめである。 たとえば算数オリンピックに出ようかという子にとっての良問は、そうでない子にとってはむしろ難問、奇問になる。 本来は難問に取り組むことは思考力を伸ばすために必要不可欠のことである。 それも程度問題で、その子の興味とあまりにかけ離れた難問にばかりつき合わされていては、伸びるものも伸びなくなるのだ。 ところが、中学受験ではそういうハメに陥る子が実に多いのだ。 というのは、ウチはレベルが高いのだというミエや優秀児を集めようという意識から、とてつもない難問を模擬試験に出題したり、教材に使ったりする塾が多いからだ。 ところが、この種の問題は、中学側が出題すれば世間の非難を受けるので、昨今は減っているのだ。 実は合否にはまったく関係のないトレーニングをさせられている可能性がある。 いずれにせよ、能力以上に子どもが背伸びさせられている場合には、頭は良くなるどころか悪くなるということを肝に銘じておくべきだろう。

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何を基準に

末っ子のお子さんの志望校対策の場合、何を基準にして判断すればいいのだろうか。
四谷大塚では、11月の第2週から12月にかけて、1週間おきに3回ほど「合不合判走テスト」というのがある。
中学を受験する人は誰でも受けられる模擬試験で、最近では2万4000人以上の子が受けている。
テストの目的が、その子が志望校の合格圏内に入っているのかどうかを判断することにある。
しかし、親御さんには、試験の結果云々よりも、大勢の中で大変な緊張感を強いられる試験を受けたとき、お子さんが日ごろと比べて十分な力を出せるか出せないかということをよく見る必要がある。
この「合不合判定テスト」 の1回目と2回目、3回目を比較していったときに、あがり性の子は1回目より2回目、2回日より3回日のほうがいいという結果が出てくる。
尻上がりのパターンで、1回日は相当悪いのも特徴だ。
ところが、逆に1回目がよくて、だんだん慣れるにしたがって悪くなるという子もいる。
まず、自分の子がこのうちのどのタイプかを判断して欲しい。
1回目の成績が一番いいのなら、その子は一発勝負のほうがいいということになる。
そしてこの後者のパターンはおうおうにして、長男、長女に多いようだ。
といっても、育て方とか、家庭環境によってもずいぶん違ってくる場合もあり、誰にも当てはまるわけではない。
じっくりと判断してあげればいいのだ。

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ただ受けただけ

塾の夏季講習などは、ただ受けただけで終わったというのがあまりにも多い。
本当は夏季講習の復習、予習にもっと時間をかけたかったのに、かけられなかったというのが現実ではないかと思う。
夏休みの計画は最低限度にすべきだ。
本来、夏休みというのは、お子さんの健康状態をはじめ現在の姿をじっくりと観察して、何を勉強させたらいいかということを考えてやるべき時期だ。
これだけはやろうという、こんなちょっとでいいのかと思うくらいの予定がちょうどいいのだ。
実際、それが完全にできれば十分だと私は思う。
また、夏休みは、日ごろできないものをやらなければならない。
ふだんは、塾でも毎週のカリキュラムが立てられていて、予定がギッシリとつまっている。
ほとんど追いかけられっぱなしなのだ。
そのため自分のお子さんの本当に弱い部分とか、この部分を直さなければ伸びないんだという部分はやれない。
ですから夏休みには、本当の弱い部分を補う勉強を徹底的に時間をかけてやるべきだ。
それができれば成功と思って欲しい。

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文化の基盤

国語は、長い歴史の中で形成されてきた我が国の文化の基盤を成すものだ。
また、文化そのものでもある。
国語の中の一つ一つの言葉には、先人たちの悲しみ、痛み、喜びなどの情感や感動が集積されている。
先人たちが築き上げてきた伝統的な文化を理解・継承し、新しい文化を創造・発展させるためにも国語は欠くことのできないものだ。
国語は,学校教育のあらゆる教科や様々な学問の基盤である。
自然科学の分野においても、その重要性は全く変わらない。
地方の伝統文化や地域社会の豊かな人間関係を担う多様な方言については、地域における人々の共通の生活言語である。
同時にそれぞれの地域文化の中核でもあると考えられる。
社会生活は、人間と人間との関係によってのだ。
その人間関係を成立させるのがコミュニケーションの手段として用いられる国語なのだ。
コミュニケーションを成り立たせている「聞く・話す・読む・書く」のすべてが国語を通して行われる。
これらの活動を介して社会生活が成立している。
すなわち国語なくしては、社会は成立せず、その発展も望めない。
自分らしい、納得できる幸せな人生を全うできるようにするためには、自分の頭で考える力と、他の人との関係を考慮しつつ、自分の中にある思いを言語化して社会に発言していく力が必要なのだ。

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個性的なところ

麻布というのはひじょうに個性的なところだ。
ご存じかもしれませんが、自分で勉強したいと思う子にとつては天国のような学校だ。
校則などもほとんどなく、それこそ大学なみに、いくらでも時間があるという感じだ。
ですから、自分なりにどんどんやろうと思えばいくらでもできる。
逆に、やる気がない子は、ズルズル落ちこぼれてしまい、果てしない底に落ちていく。
しかも、学校の先生はそのことに対してあまり口をはさまない。
ひと口に私立中学といっても、いろいろな学校がある。
勉強しなくでできない子には補講をしてくれたり、これじゃいけないんだということで軌道修正をしてくれる学校も最近では少なくない。
ところが、麻布とか武蔵といったところは、そういう軌道修正などほとんどない。
もっぱら本人の自由意志に任せるわけだ。
そういう面では、生徒の自主性を重んじた、大学のような学校だと言える。

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ミスをなくす薬

ミスをなくす薬などというのは残念ながらない。それは訓練でしか身につかないものだ。たしかに、子供たちはプレッシャーを感じるとミスをする。しかし、それも本人が自信を持てばなんてことはないのだ。自分はいつやったって絶対ミスをしないんだという自信は「訓練」 から生まれるものだ。私がお子さんに、「ミスをしていたらダメなんだ。だから先生がおまえたちのミスを直してやる。直したいだろう。直したくないというやついるか?」と言うと、どのお子さんも「直したい」と答える。そして、「よし、オレが直してやる。その方法を教えてやろうじゃないか。考えてもできないという問題はいい。でも、オレが教えたやり方で一度やったのと同じ種類の問題をやってミスをした場合には罰則を与えるよ」と、お子さんと約束するわけだ。頭を軽くコツンとやるというのが罰則だ。子供は甘やかしていたら、いつまでたってもミスが直らない。そしてミスを直すためには、本当は徹底的にしごかないといけない。できれば低学年で、遅くとも5年生までには、ミスをなくすように訓練する必要があるのだ。

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環境に対する順応性

お子さんが、ようし、あそこで勉強がやれるぞというような気持ちになっていたら、それは勉強に意欲を燃やしているような子です。そんな感じで行っているのなら心配ありません。しかし、子供の場合、環境に対する順応性が大人よりも高いだけに、うわべだけでは判断できないことがあるのだ。子供にへつらうだけの塾が少なくないだけに、親御さんも充分に注意していただもたいところだ。講師陣にしても、最近の塾は、子供たちとの一体感、親近感をアピールするために、学生を多く採用しているところがある。しかし、学生はあくまでも学生であり、塾の先生としては素人だ。学生講師のよさというのは、公立学校の先生たちがアルバイトでやっているより情熱があるという点だ。その点では、私も学生を評価する。ところが教えることにおいてはド素人だ。たとえ子供たちがわからないことを教えることはできなくても、また子供と一体化することはできでも、本当の意味での勉強を教えることはできないのだ。

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がむしゃら

とりたてて優秀でもない子供たちが、私の塾で勉強した結果、最終的に志望校に入ることができるのは、まず第1に〝やる気″を出させたこと、第2番目にミスをなくすること、そしてもうひとつは暗示を上手にかけるということになる。
子供たちに本当の意味での勉強の楽しさを教えながら、中学受験という目標を達成させるには、親としてどうすればいいか、で親御さんたちに私が最も訴えたいことだ。
それを実行していただき、ひとりでも多くの子供たちが志望校に合格することができれば、私にとってこんなにうれしいことはない。
楽をして中学に入れたら、どんなにいいと思いませんかと私は、親御さんたちによく言う。
「勉強は最小限にして、遊びもやる、塾にもあまり行かない、それでいて合格する、これが最高じやないですか。そして、それはできるんです。ただやり方を間違えているからできなくなってしまうんです」と。
中学受験は、本当にやる気になったら3カ月もあれば充分間に合う。
もちろん、それまでずっと遊んできても3カ月で間に合うのかといえば、答えはノーだ。
基礎だけは固めておかなければならない。
ただ、毎日がむしゃらに、勉強、勉強とあくせくしながら、4年生からの2年半を過ごしたからといって、かならずしも合格するわけではないということだ。

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塾滞在時間

私の担当している生徒さんのお母さんが「どうして、こんな遅くまでかかるんですか」とたずねた。「うちの塾はわかるまでやらせる。ですから、先生方もつきっきりで、夜の10時半まで一生懸命がんばっているんですよ」という答えが返ってきた。お母さんのお話をうかがっていると、是が非でも私立に入れたいというお考えではないようだ。もしダメならば、公立に行かせてもいいと思っているようだった。まちがっても私立の三流校にだけには入れたくないというのです。その部分を私に診断していただきたいというのが、お母さんの要望だった。それでほんのわずかでしたが、お子さんに問題をやらせてみた。すると、それほど頭が悪いわけではなかった。けっきょく、私の診断したところ、お子さんはとにかくミスが多いということがわかった。わからないところがあれば、どんどん一緒になって解いていった。ただしそれは、ミスをなくそうという角度からだった。

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通勤通学時間の活用

日本では、サラリーマンの通勤時間は長いです。学生の通学時間も、かなり長いです。だから、この活用は馬鹿になりません。多くの人は、電車内で本を読んでいます。しかし、活字を読むのは目が疲れるから、あまり望ましくありません。なるべく目を使わない利用法がよいです。テープで英語を勉強するのが、もっとも効率的です。 FENの夕方のニュースをタイマーを使って自動録音しておき、つぎの日にそれを電車で聴くとよいでしょう。これを日課にすると、英語のニュースを聞くのが面白くなりmす。テープによる英語の勉強は、電車の中のように他にすることがない場所のほうが、集中できて効果的です。受験生の場合には、暗記科目の勉強にも使えます。カードを用意したり、本に線を引いて暗記すべきものを用意しておき、電車の中では、その箇所だけをみて、暗記します。いま一つは、電車に乗る前に問題を頭に詰め込んでおいて、それについて考えることです。数学の問題を、頭の中に図や式を展開して考えます。練習すると、かなり複雑な式でも、計算できるようになります。電車の中では、テープによる英語の勉強か、暗記物をやるとよいでしょう。

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刷り込み

非常に強い刺激や記憶のために特別に努力したものだけが、選ばれて長期記憶に蓄えられます。例えば、電話番号についていうと、番号簿で見て記憶しダイヤルを回す場合、この番号はワーキング・メモリにいれられています。そして、ダイヤルしてしばらくすると、失われてしまいます。これに対して、自宅の番号のような特別の番号は、長期記憶に蓄えられています。「非常に容量が大きい」と述べたのは、長期記憶のことです。これに対して、ワーキング・メモリの容量は限られています。だから、格別の努力をしないと、数分のうちに消えてしまうのです。また、あとから別の刺激が入ってくると、それまでワーキング・メモリに蓄えられていた内容は追い出されてしまいます。これは、われわれが日常経験していることです。例えば、仕事中に電話がかかると、電話が終わったあとで、それまでしていた仕事の内容を忘れてしまうことがよくあるからです。そこで、ワーキング・メモリの内容が消える前に、それを長期紀鷹に移すことが必要です。長期記憶への刷り込みを確実に行なうには、繰り返しが必要です。

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興味をいだく対象

目的地点まで連れてきてもらう「飛行機」として、百科事典の活用がよいです。
分数の厳密な定義は、「横線によって画された二つの整数の集合である」
そして、この記号に施すことができる演算を規約によって定義するのです。
林柵を分割して分数を教えるのは、実は便宜にすぎません。
もっとできる生徒の場合はどうするでしょうか。
この場合には、なるべく早く、全体の範囲をざっと勉強させましょう。
例えば高校一年生なら、高校の全課程をできるだけ早く勉強するのです。
理解できないことが多少残っても、構わないでどんどん進みます。
学校の勉強の場合には、百科事典を使う必要はありません。
教科書という格好の手引きがあるからです。
この方法は、一般常識には反するでしょう。
数学の学習書を読むと、ほとんどの本に「基礎が重要。理解してからつぎに進む」というのが、そこで述べられている勉強法です。
しかし、体系を理解する場合には、まず全体像をつかむほうが効率的なのです。
しかも、数学の場合には、「基礎をしっかり」という方法には、あとで述べるような大きな問題があります。
もっとできる生徒なら、高校生でも大学教養課程のレベルまで進んでしまうものです。
そして、とくに興味をいだく対象について、もっと理解させます。

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速く正確に読む技術

内容によって長さが決まるのでなく、長さによって内容が決まります。しかし、数学の論文だけは、例外のようです。重要な論文で数ページしかないというものは、多数あります。経済学の基礎理論でよく引用される「角谷の不動点定理」の論文は、わずか3ページしかありません。他論文で引用されている箇所をまとめれば、たぶん本1冊分ではすまないでしょう。他方で、非常に長いものもあります。難問の一つとされていた「四色問題」(隣の地域を常に異なる色になるように塗り分けるには、四色あればよいという問題。1850年に出題され、1976年に解決された)の証明は、数百ページもあるそうです。「フェルマーの最終定理」の証明(1995年3月にプリンストン大学のウイルズ教授によって証明された)は、主論文が140ページだそうです。ディスカッションでが、大論文に相当する「長文」を話そうとしたり、講義のつもりで話し始める人がいます。それどころか、分量をまったく意識せず、「とりとめもなく」話す人も多いです。これでは「ディスカッション」など不可能です。与えられた分量にあわせて書く内容を考えるのです。逆ではありません。速く正確に読む技術も必要になります。

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丸暗記に限る

英語は教科書の丸暗記に限ります。二十回も読むのは大変と思われるかもしれないがやってみましょう。時間さえあれば、誰にもできます。数学の勉強をして疲れたら、気分転換のつもりでやればよいのです。全く楽な方法です。この際、なるべく音読しましょう。そして、耳で聞くのです。五感の多くを使うほうが、覚えやすいです。また、眠くならないし、他の刺激に邪魔されることもないから、集中できます。教科書丸暗記法は、楽なだけではありません。重要なのは、効果が素晴らしいことです。まず、単語を楽に覚えられます。とくに、単・複と冠詞の選択は、かなり英語ができる人でも、迷うものです。こうした問題は、丸暗記法の独壇場です。たちどころに、かつ、このうえなく正確にできます。それはあたり前で、答えそのものを覚えているからです。教科書を対象にした学期末試験なら、ほとんどすべての問題に正解が解けるはずです。

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はるかに克服しやすい

運動能力の差や感の差より、勉強ははるかに克服しやすいものです。とくに、学校教育レベルの勉強では、そうです。逆にいえば、生まれつきの能力が高くとも、方法を誤れば、せっかくの能力を殺してしまうことになります。だから、「勉強法」は、能力を持ちあわせている人にとっても、それを活かすために必要です。例えば、英語の勉強法は、教科書を繰り返して読むというだけのものです。これは、誰にもできます。そして、この方法を忠実に実行すれば、成績は必ずあがります。大学入試で英語の比重は高いです。英語でよい点が取れれば、それだけで入学できるところもあります。だから、英語を正しい勉強法で行なえば、かなりの水準の大学に入学することができるのです。これとは逆に、英語を分解して日本語に対応づける勉強法だと、どんなに頭がよい人でも、英語を実際に使えるようにはなりません。単語帳で英単語を覚えようとすると、どんなに努力しても、英会話はできないのです。

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転塾期

私は何人も公文式を勉強した子どもさんを担当したことがあります。
私は考える力をつけようし指導しました。
また、国語や数学の文章題、英語の読解などはプログラム学習には向いていません。
ただ、公文式の開発スタッフは優秀ですから、いずれこういう問題にも対応できるシステムを開発してくると思います。
既に連読等のプログラムは導入されています。
もうひとつ、子供がせっかちになる傾向はあります。
とにかく○をもらわないと気がすまなくなるのです。
×について考える前にもう一皮解く、足してダメなら引く、こういう生徒は公文式やそろばんの経験者にはよく見られます。
結論、中学受験をするのなら小3くらいまで、難関国私立高受験の場合は小6でしょうか。
公立高校受験だと中1から中2です。
いずれにせよ雑な答案を書き始めたら転塾を検討されたほうがよいでしょう。
あと本人に飽きが見え始めたら、やはり転塾期の可能性が高いと思われます。

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学校選び

学校選びについて考えて見ます。
地方と違い、首都圏および都市近郊の場合は、私学のメリットが非常に高いです。
都市部にも有力な公立は存在するのだが、人口比で考えるとかなり少ないものです。
つまりリスキーなのです。
これにしくじった場合、都市部の2番手枚というのはトップ校との差が激しいことが多いから、これまたよくありません。
生徒の成長と環境が許せばだが、中学受験したほうがリスクは少ないです。
特に私学の一流どころは高校募集の定員が極端に少ないし、公立中学のなかには非常に良い学校もあるけど数が少ないです。
概して荒れる傾向があります。(思春期の子どもを能力に関係なく1カ所に集めればひずけが出てくるのは当然のこと。先生のせいばかりではない)。
もちろんそうした環境の中で育つことは人間的な強さを身につけてくれるわけで、特に男子の場合、それも人生におけるひとつの有意義な試練となるだろうが、出る杭は打たれるのが公立でもあります。
(これは生徒間だけでなくときとして先生からも打たれることがある、確かに教育効果を考えるとよくないです。)
同じクラスに能力的に際立った生徒がいる状態はやりにくいだろうからです。
このあたりのデメリットまで考えたうえで選択をしてほしいものです。
決して一概に私学が公立より良いというわけではないから勘違いなされないようにお願いします。

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過去問ノート

中学受験や高校受験の直前に、特におすすめなのが過去問ノートです。
直前はもうドリル形式や単元別の問題集など終わって過去問の演習をやっているはずです。
そのときに過去問のうちできなかった問題をそっくりそのままノートに写すのです。
もちろん解答も一緒にです。
過去問というのはパターン化されて数年に1回のローテーションで同じような出題がなされる場合が多いです。
そうでなくても学校ごとの独特の質問形式のものや出やすいテーマははっきり存在しています。
ということは、できない問題はできるようにしておかないと本番で出果されたときに痛い目にあうということです。
過去問ノートを作っておけば「どんなタイプの問題に自分が弱いか」すぐに見直すことができます。
やり方をマスターして自力で解ける自信がついたら今度は類題(似たような問題)をやってみましょう。
類題を見つけるのが自分でできなかったら学校や塾の先生に頼ってもいいです。
そうしてその間、これが解けたらオッケーです。
そうでなければまたその間違いも書き写しておきます。
書くのが面倒だったらコピーをしてそのままノートに貼り付けておいてもいいです。

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大器晩成

日本において成功を求めるには一定の期限内(年齢のうちに) に成果を出す必要がケースが多いです。大器晩成などというのは組織にもぐり込んでからならば可能性はあるが、組織外の人間があとから実力を発揮しても、独立起業でもしない限り認められることはないのです。あくまでも、限られた時間内で実力をつけなければならないのです。「読解力をつけるには読書を多くすること」多くの読書をするには時間がかかるのです。まして読書嫌い、国語が苦手な子どもならなおさらでしょう。そして、それが国語力として結実するにはさらに多くの時間がかかります。残念ながらそれを待ってくれるほどいまの日本はのんびりした社会ではないのです。あせる必要はないが、ある程度の期限内で実力をつけなければ無効なのです。

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善悪の判断

親は、わが身に子と親のふたつながらの意識を持ち得ますから、善悪の判断はつけやすい。
だから、いっそう子育ては慎重にせざるを得ないともいえる。
子供は父親の背中を見て、そして、母親の懐に抱かれて育つ。
お父さんもお母さんも人間ですから、感情の虫ですから、時には理不尽な怒りとか、意味のない倦怠感にとらわれることもある。
また、わがままをいってみたり、横着もしてしまう。
しかし、それを間近で見ているのが自分の子供ですから、普段、しかっている手前、そうそう勝手はできない。
おのずと自分を殺す術も覚えるものだ。
つまり、子供を持つことによって親も人間として成長していくわけだ。
ここは非常に重要なところだ。
躾をしながら、教育をしながら、自らも躾られ、教育させられるということだ。
子供によって親にさせられるという意味を、真筆に受け止めたいところだ。
ひところいわれたことですが、今の親子関係はまるで兄弟や仲間のようだ、というのがあった。
決して悪いこととは思いません。親の威厳がなくなったとも思わない。
より人間的な付き合いができるのであれば、あまり親と子を上下の位置関係だけで見るよりは、ずっといいように思われる。
しかし、それには基本をわきまえることが最低限、必要なことと思われるのだ。
たとえ投げやりなロをきき合っても、親しき仲にも礼儀あり、長幼の序ありをお互い納得した上でなければ、ただ単に親が子供にへつらっているにすぎない。

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恵まれたポジション

生涯教育について考えてみる。これも、これからの時代、避けて通れない問題だ。家庭教師の中には大学生もいる。不思議なものでお母さん方は、家庭教師の場合は大学生を求めるのですが、塾の講師になると急に、「学生さんなんですか」と不満顔になる。これはどうしてか。割安で家に来てもらえるならいいけれどなんてことになる。いい機会ですから、この辺の誤解を解いておきたい。たとえ、学生の家庭教師の場合でも現役でやってきた先生ばかりだ。中学受験なら経験者ということになる。それだけの責任は持たされるのだ。先生は、学生でありながら教師の役目もする。学びつつ教えるという両面性をまっとうしながら人生勉強もできるという、人間修養の意味ではいい環境にいると考えられるのだ。社会的にも非常に恵まれたポジションと言えるのだ。

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